「一度人生を諦めた人と、
もう一度夢が見たい」
「そもそもこの法人を立ち上げたのは、君みたいに人生を一度ダメだと思って諦めた人と、もう一度夢が見られるような組織を作りたいと思ったことからだ。俺も頑張っていきたいから、力を貸してくれないか」
私がサリュに入社するきっかけになった、前代表の谷から言われた言葉です。
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4年間の旧司法試験の結果、受験資格を失って
生まれは京都です。大学は神戸大学の法学部で、卒業後、4年間ほど旧司法試験の勉強をしていました。ところが、短答、論文試験は合格したものの、1割も落ちないはずの口述試験で2回落ちるという、通常ではあり得ないことをしてしまいました。
1回目は緊張して頭が真っ白になってしまい、リカバーすることができませんでした。翌年は短答と論文試験は免除され、もう一度口述試験を受けました。ところが、試験が行われる部屋に入ると、目の前に前年と同じ面接官が座っていました。「ダメだ」と思って頭が真っ白になってしまいました。2回口述試験に落ちると、受験資格を失ってしまうので、旧司法試験での法曹への道は閉ざされました。「自分は法律に向いていないんだろうな」と、かなり落ち込んで数ヵ月間はなにも手につかないような状況でした。別の就職先を探そうとしましたが、社会人経験も、資格もなかった私には、年齢的にもいわゆる一般企業への就職は厳しいものでした。
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時給800円の清掃パート時代に
諦めきれずサリュの門を叩いたただ、このまま家に引きこもっていたらダメになるとも思っていましたので、始めたのが、ホテルの清掃のパートでした。午前9時~午後4時ぐらいまで、週4~5回のシフト制。時給は800円でした。2年半ほど続けていました。目立たなくても大事な仕事が世の中には多くあるんだと実感するきっかけになりました。
ただ、「せっかくあれだけ法律を勉強したのに、それを生かせないままでいいのか」という思いはありました。それで、新聞に載っていた求人広告を見て、サリュに面接に行きました。 -
もう一度ここで
人生をかけてやってみよう旧司法試験に落ちたことを話したら、前代表の谷から「そうか」と遠くを見るような目で言われたことを覚えています。
その面接の数日後、もう一度事務所に行ったときに谷から言われたのが、冒頭の言葉です。それが胸に刺さり、もう一度ここで人生をかけてやってみようと思いました。平成20年にサリュに入社しました。
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平均して年間50件ほど、一番多いときで年間100件ぐらいの案件を担当
これまで大阪や福岡の事務所で働いてきました。平均して年間50件ほど、一番多いときで年間100件ぐらいの案件を担当していました。
高次脳機能障害の疑いのあるお客様の方の事件や、ひき逃げ事件で加害者がわからず、政府保障事業に後遺障害の申請をしたことなど、思い出深い案件ばかりです。どの案件においても、担当の弁護士とはもちろんですが、スタッフ同士で声を掛け合って協力し合う、サリュの協働体制の強さを実感する日々でした。
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サリュは社会的に弱い立場にいる人たちを救う組織、
強者に立ち向かう組織であり続けたいサリュは荒んでいた私の人生を変えるきっかけを与えてくれた、自分のような人間でも誰かの役に立てることがあるんだと教えてくれた存在です。感謝してもしきれません。この気持ちはサリュの発展に貢献することでしか返すことはできないと思っています。
現在、サリュは、事務所の規模や人数が拡大し続けています。しかし、どれだけ大きくなっても、サリュは社会的に弱い立場にいる人たちを救う組織、強者に立ち向かう組織であり続けたいと思っています。自分は先頭に立っていくタイプではありません。ただ、先陣を切っていくメンバーを下から支えられるような存在でありたいと思っています。