ある日、従業員から「残業代を請求したい」と言われた場合、経営者や人事担当者はどのように対応するべきでしょうか。この問題は、経営者ならできれば避けて通りたい話題かもしれません。
しかし、適切な対応をせずに放置すると、労働基準法違反として労働基準監督署による指導や訴訟リスクに発展し、企業の信頼を大きく損なう可能性があります。一方で、誠実に対応し状況を正しく把握することで、トラブルを円満に解決する道もあります。
本記事では、残業代請求に直面した際に取るべき正確なプロセスを解説するとともに、事前の予防策や働き方改革を進めるための具体的な方法を提案します。従業員の信頼を維持しながら、法律を遵守した労働環境を目指すための知識を一緒に学んでいきましょう。
この記事の監修者
弁護士 山田 洋斗
弁護士法人サリュ千葉事務所所長弁護士
千葉県弁護士会所属
そもそも、従業員から残業代請求をされてしまう背景にはどのようなものがあるのでしょうか。
残業代を請求される背景には、労働者の労働条件や企業の労務管理における問題が潜在している場合があります。この章では、残業代請求の法的根拠や、よく見られるトラブル例を解説します。
昔から、従業員は使用者との関係において劣位におかれることが多く、精神論を根拠に無理な残業を強いられることが常態化していました。そこで、日本の労働基準法は、労働者の権利を守るために以下のような規制を明確に定めています。
以下は、残業代を請求される原因となる典型的な場面です。
従業員から突然の残業代請求を受けた場合、感情的に対応せず、冷静に対処することが求められます。この初動の対応次第で、その後の展開が大きく変わる可能性があります。
このとき、請求された金額の妥当性がわからないまま、安易に支払いを約束することは絶対にしないようにしましょう。労働者側の請求内容に少しでもおかしな点があれば、まずは弁護士に相談してみることをおすすめします。
正しい労働時間の管理は、未払い問題を未然に防ぐ基本的なステップです。労働時間の記録に抜けがあったり、不透明な部分があると、法的トラブルの種となります。
例えば、使用者が終業時刻以後のタイムカードの打刻を禁止することで、残業代の請求を防止しようとすることがありますが、そのような対応をすると労働者の反感を買い、労働者自信が自衛のために労働時間を記録して、予想以上の残業代請求をされるということは、しばしば起こります。
労働基準法では、労働時間の記録を最低5年間保存することが求められています(労働基準法第109条)。記録の欠如は、トラブル時の防御策がなくなることを意味しますので、不当な残業代請求を防ぐためにも、しっかりと記録を保存しましょう。
残業代を正確に計算するためには、使用者側においても、基準となる賃金や割増率を正しく理解しておく必要があります。
残業代の計算は、簡潔に説明すると、①基礎賃金×②残業時間×③割増率で算出します。
そのうえで、すでに支払っている残業代(固定残業代が有効に適用される場合は、当該固定残業代を含む)を控除して未払い残業代を算出します。
残業代の未払いは、長引くと企業に大きな影響を及ぼすことになります。
企業が労働基準法を適切に遵守しているかどうかを確認するために、労働基準監督署から調査を受けることがあります。この調査は、従業員からの申告や通報がきっかけで実施される場合が多く、違反が見つかった場合には企業に対して改善の指導が行われます。この指導に適切に対応することで、労務管理上のリスクを回避し、職場環境の健全化を図ることが可能です。
以下は、一般的な労働基準監督署の指導の流れについての詳細です。
労働基準監督署からの指導に対しては迅速かつ誠実な対応が求められます。以下は、具体的な対応策です。
速やかに是正に応じることはもちろんですが、上記の対応の中でもっとも重要なのが、コンプライアンス教育の徹底だと思われます。
これは、多くの労基法違反の原因は、経営者や労務管理にあたる管理職の「労基法遵守の意識の乏しさ」であるからです。
残業代を請求された場合、対応を誤ると企業として法的責任を問われる重大なリスクにつながる可能性があります。そのため、ケースによっては弁護士への相談が必要不可欠です。以下に、弁護士に相談すべき具体的なケースをいくつか挙げます。
従業員が請求している未払い残業代が高額な場合、弁護士に相談することで対応の方針を明確にするべきです。特に、複数年にわたる未払い残業代や、複数の従業員から同時に請求を受けた場合は、金銭的リスクが非常に大きいため、専門的な助言が必要です。
特に、高額な残業代が請求されている場合、その計算根拠の確認は重要です。労働者側に弁護士が介入している場合であっても、請求根拠が曖昧な場合や、前提としている事実関係に誤りがある場合もあるため、慎重に確認することが重要です。
また、法律では未払い賃金の時効は3年(ただし、以前は2年)とされていますが、時効の起算点がいつになるのかは、専門的判断が必要となる場合もあります。この点からも、弁護士に相談する必要があります。
従業員から労働基準監督署への相談や、労基署から是正勧告を受けている場合、あるいは従業員が裁判または労働審判を起こした場合には、弁護士の助言が不可欠です。
上記のような法的手続きが進んでいる場合は、専門的な知識と適切な法的対応が要求されます。たとえば、裁判や労働審判の過程で適切に主張や反論をしなければ、高額な支払い命令を受けるリスクがあります。
従業員が主張する労働時間に対し、会社が把握している労働時間と相違がある場合は、弁護士の助けを借りた方が良いでしょう。たとえば、以下のようなケースです:
未払い残業代の計算には、基本給や手当の扱い、深夜・休日労働の割増率の適用など、複雑で分かりにくい部分があります。従業員が示してきた金額が適正かどうかを確認するためには、法的知識が必要です。
たとえば、固定残業代として会社が一定額を支払っている場合、その計算方法が法的に適正かどうか、固定残業代制が法的に有効かどうかの判断が必要になります。
また、深夜残業(22時以降の勤務)や休日出勤に対する割増率が適切に反映されているかの判断も重要です。
複数の従業員から同様の未払い残業代請求を受けた場合、対応を誤ると大きな問題に発展する可能性があります。このような場合、従業員間で情報が共有されることで対応ミスが広がり、芋づる式に残業代の支払い義務が発生し、集団訴訟などに発展するリスクもあります。
また、他の従業員からの追加請求や訴訟が立て続けに発生する可能性がある場合、今後の対応方針や法的リスクを弁護士と相談しながら慎重に進める必要があります。
従業員の残業代請求の中には、労働基準法やその判例の解釈が関係する複雑な問題もあります。例えば、以下のようなケースです。
・みなし労働時間制(裁量労働制や事業場外労働)を適用しているが、その適用が正当かどうかが争点となっている場合
・変形労働時間制やフレックスタイム制を導入している場合に、制度が適切に運用されておらず違法性を問われるケース
・労働基準法上のいわゆる管理監督者に該当するかどうかについて争点になっているケース
従業員との交渉が感情的にもつれたり、請求金額や条件について話し合いが平行線をたどる場合には、第三者として弁護士を介入させることで、冷静で法的に適切な交渉が可能になります。
感情論やトラブルのエスカレートを防ぐためにも、弁護士に代理人として入ってもらうことが有効です。
残業代請求が公にされたり、SNSやメディアに取り上げられる可能性がある場合、企業のイメージや評判に大きなダメージを受けることがあります。このようなリスクに直面した場合、弁護士に相談して対外的な発表内容や対応方針について助言を受けることが重要です。
特に、大企業や知名度のある会社の場合、迅速かつ慎重な対応が必要です。
場合によっては、SNSでの投稿に対して、発信者情報開示のうえ、削除要請や損害賠償請求にも対応する必要がある場合もあります。
残業代を請求されたことを機に労務管理体制を見直す必要がある場合にも、労働法に詳しい弁護士に相談することが有益です。弁護士は、企業の現状を分析し、再発防止策の提案をすることができます。
このように、弁護士に相談すべきタイミングは、請求内容や状況の複雑さ、法的リスクの高さによって判断されます。残業代に関するトラブルは、迅速かつ正確な対応が求められるため、問題の重大性に応じて早期に弁護士に相談することを検討しましょう。そうすることで、トラブルの長期化や大きな金銭的ダメージを防ぎ、労務管理体制を見直す良い機会とすることが可能です。
残業代請求は企業にとって課題ですが、従業員の声を適切に受け止めれば、職場環境を改善し組織全体の成長につなげるきっかけに変えられます。法律を遵守し、働きやすい職場を目指しましょう。